《奥尻地区》奥尻町教育委員会学芸員/稲垣森太さん

インタビュー第三弾は、奥尻島の学芸員※をしている稲垣森太さんです。
※学芸員:博物館に勤務し、資料の収集や研究、展覧会の企画、博物館の案内を行う職業。

①奥尻島での仕事内容は?


奥尻島でのこれまでの出来事を調べてまとめ、町民にわかりやすく伝えることです。
『今までこのような歴史や文化がありました。このような歴史や積み重ねがあって今の奥尻での生活があるんだと思います。』といった感じです。
島には歴史や文化財、民族、動植物など様々なテーマがあります。
広く調べ、時に分野を統合しながら専門的な研究をしています。
一般の人に対する展示スペースとして、稲穂ふれあい研修センターがあります。
調査対象は奥尻島全体であり、野外活動も多いので、持ち帰ってきた情報を整理するスペースとしても活用しています。
他には奥尻島津波館にて、平成5年に起きた北海道南西沖地震の津波被害を後世に伝える活動や、地元の小中学校のゲスト講師として歴史の普及活動をすることもあります。

②奥尻島の学芸員になったきっかけは?


もともと学芸員を志望していましたが、大学卒業後すぐに学芸員の就職先はなく、本州各地の遺跡調査の仕事をしていました。その頃学芸員業務に近い仕事をして過ごしていることを、卒業した大学の教授に知ってもらっており、奥尻町採用募集の情報をいただきました。出身である北海道の学芸員が出来るということで、非常に光栄だと思い応募し採用していただきました。

③津波後から今まで、奥尻島はどのように変化した?


平成5年の北海道南西沖地震の津波で被害にあった地域は、建物すべてが建て替えられ、海岸も防波堤が出来て、今まで見えていた風景と全く変わってしまいました。
島民の気持ちとしては、『家々が狭いながらも身近にあった以前の環境の方が良かった。』とか、『素朴な景色がなくなってしまった。』等の声もあります。
一方で、『姿は変わったけれども自分たちが生まれ育った風土を大切にしながらこれからも頑張ろう、この島で生きていこう。』という前向きな気持ちの方が勝っていたんだと思います。行政側も積極的な支援をすることで、地域社会の再興を目指しました。
自然減により人口減少は続いていますが、長期的にみると地震の影響で大幅に人口は減っていません。やむを得ない事情や島民としてのアイデンティティが薄いと島外に出て行ってしまうこともあるけれど、『これからこの島で頑張っていきましょう。』という強い気持ちがあったからこそ今の生活の営みがあるのだと思います。先達から引き継がれてきた島民としての精神的、肉体的な強さが潜在していると感じます。

④奥尻島の移住者を増やすには?


手付かずの自然は壊れやすいものなので、今ある自然の恵みを大切にしつつ、それを良いものだと感じた人が発信していくことで、島内外のファンが増えていくでしょう。島の資源をみんなで大切にすることで、移住者の増加につながると思います。
どこか子供時代の遊び場的な感覚ですごしていけると、無理のない持続的なものになるだろうと思います。



奥尻島移住者インタビュー『住もう奥尻』

奥尻島移住者(Iターン、Uターン、Jターン等)へ、島の魅力や暮らしについてインタビューしています。

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